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進捗60%(2018.06.19更新)

交換書評、第2回目です。作品の事前情報が少ない小劇場演劇界隈に、一石を投じる企画だと思いつつ、どれほどの反響があるのかイマイチわからなかったのですが、思ったより好評だったので続編をお送りします。「この企画は、作品の上演台本がいつまでも出来てないとお客様に思われてしまったら、良くないのではないか」というご意見もありましたが、仕方ないんです。だって出来てないのですから! その他にも「進捗率5%の私は大変勇気をもらいました」というご意見もいただいております。同業者に心配されたり勇気を与えたりするこの企画、お客様にも楽しんでもらえているとよいのですが。今回も、ネタバレを嫌う方はご注意くださいませ。完全なネタバレ回避は難しいようです。あくまで気にしない方か、上演後のお楽しみにしていただいても良いかと思います。それでは、ご覧くださいませ。

『ミナソコ』進捗60%感想文/書いた人・渡山博崇

 さりげなく冒頭から書き直されてる。そもそも書き方というか組み方というか、文章のレイアウト自体変わっている。戯曲というより映画のシナリオのように、演出的な意図すらも組み込んでいる。うん、さりげなくなかった。大胆なスタイル変更、というより、おそらく当初からこのように意図していたところがあるのかもしれない。1ページ目から舞台美術の指定が図形で明示されていることからも、斜田さんはホンを書きながら同時に演出も考え、相互作用でお話を進めているのがわかる。そして、とある記述のパートが大幅に増えていることからも、演出プランの方向性が定まったことが窺える。前回読んだあたりでは、そこまで重要だと思っていなかった部分がクローズアップされていて、びびる。そのラインと主要モチーフの人魚というラインが、いずれ交わるのだろう。まだ想像がつかない。

 そして冒頭からあった不穏な気配は、どんどん強くなっていくというか、最早気配どころではない。不穏だ。それでも、まだまだ静かなのだ。読者としては「ええええ」と声を上げたくなるようなことでも、登場人物たちは水面を震わすことのないように静かに物語を進行しているように見える。その内心はともかく、非常に律された行動だ。いずれ破綻を迎えるに決まっている、その爆発点まで、この静謐さは続くのだろうか。この人たちになにをさせようとしているのだ、斜田。(呼び捨て)

 やきもきして落ち着かないので、ここで関係のない話を書こう。高橋留美子の『人魚の森』という作品がある。『らんま1/2』や『境界のRINNE』などでポップなイメージのある有名漫画家の異色シリーズだ。人魚シリーズと呼ばれ、人魚の肉を食べて不老不死となった男が主人公だ。不老不死になる人魚の血や肉をめぐって醜い争いをする人間たちや、若さと美貌を手に入れるため「人魚の肉を食った人間」を食う人魚たちが登場するなど、シリアスなダークファンタジーが描かれている。僕はこの作品が好きで、人魚と言ったらディズニーやアンデルセンすら押しのけて、高橋留美子のイメージなのだ。人魚の肉を食べると不老不死になるという設定は、古来から伝わる八百比丘尼伝説から引用だ。知らずに人魚の肉を食べてしまった女が、まったく老いることがなく、居場所を失って尼僧として巡礼に出るというのが伝説の大筋で、そのまま800年生きているとされ、八百比丘尼と呼ばれる。もっとも日本では「とにかくたくさん」という意味で八という数字を付けるので、800年というのも「とても長い時間」という意味だろう。

 さて。

 関係ない話といいつつ、関係ないわけはないのだ。『人魚の森』が八百比丘尼伝説を下敷きにしているように、この『ミナソコ』も同じ根を持つ物語なのではなかろうか。冒頭で暗示されているものの、いまだ底を見せないこの物語に、どのように関わってくるのか。

 不穏さがなにか別のものに化ける。嫌な予感しかしないが、結末を楽しみにしている。

『うつくしい生活』進捗60%感想文/書いた人・斜田章大

 最初に一言。進捗率60%なんて嘘っぱちです。だって、最後まで書けているじゃないか。因みに僕が今回拝読したのは第一稿であり、この書評を書いている現在は既に第二稿まで書きあがっているそうです。最後まで書きあがっているのに進捗率が60%なんて、なんて謙虚な人なのだろう渡山さんは。僕ならこの段階で「進捗率は既に100%です!!」と豪語し、第二稿まで書きあげたら「進捗率は200%です!! 自分の筆の速さが怖い!!」と胸を張って言うだろう。プロモーションとは常に前を向くことです。後ろは偉い人が見ていればいいんです。会計とか。

……と、あまりふざけていると怒られてしまうので、自分の筆の遅さを恥じいりつつ、書評に入ろうと思います。

 

 前回の、つまり第一回目の交換書評では、「これは現代と童話の距離感を描いた作品なのか」と書きました。最後まで書きあがっている、今回の第一稿を拝読して、その表現は概ね合っていたように思います。距離というのは、ただ近づくものでも、遠ざかるものでもありません。近づいたり、遠ざかったりしながら、お互いに自分の前に広がる不確かな道を前進したり、後進したり、たまに横道に逸れたりしあう。そんな関係が距離感です。

作品の中で、童話と現実は近づいたり離れたり、喧嘩したり仲直りしているように見えます。その中では登場人物達もやっぱり、近づいたり離れたり、喧嘩したり仲直りして、その中で、でも着実に終わりに歩み寄っていきます。ゆっくりと。

 

 最後まで書かれている作品について、書きすぎると、ネタバレが過ぎてしまうかもしれないので、別の切り口からも。

 まず、今回の作品は過去の星の女子さんの作品では、「カナドール」に似ているのではないかと感じました。「カナドール」は、「ドロドール」、「ワラドール」に続く、「星の女子さんDoll3部作」の最後を飾る作品で、星の女子さんの作品の大半を見てきた僕としても、1,2を争うくらい好きな作品です。もう少し詳しく書けば、「Doll3部作」で書いたことを更に掘り下げ、1作にコンパクトにまとめあげた作品のように感じました。

 

 また、少し口に出すのは憚られることでもあるのですが……自分の作品である「ミナソコ」との、テーマ性での類似も感じました。つまり、物語と作者と読者と……それぞれの命についての話です。こう感じているのは、僕だけかもしれませんし、類似性が出たのはまったくの偶然ですが……(というか2つの作品を並べたら、どこかしら類似点は出るものかもしれませんが)2つの作品を見ることで、それぞれの作品の理解が深まるのではないかと感じました。つまりコラボチケットを買って下さいということです。大事な事なのでもう一度言いますね。コラボチケットを買って下さい。

 

さて、えげつない宣伝をしていたら、そろそろ文字数がいっぱいになってきました。ネタバレ配慮しているので、ふわっとしているのはご容赦ください。月並みな言葉にはなりますが、最後まで拝読しての感想は「いつもの星の女子さんであり、かつ新しい星の女子さんの作品である」というものです。今の段階ですごく面白いので、改稿を重ねて、どこまで面白くなってしまうのか恐ろしい限りです。

 

 最後に、前回と同じく、ネタバレにならなさそうな場所で、今回の作品で琴線に触れた言葉を紹介して、この書評の幕としたいと思います。

「こういう時代だ。ソーセージに職があるのも時代のせいだし、ソーセージが職にあぶれるのも時代のせいだ」

まとめ

斜田 脱稿おめでとうございます。
渡山 まだ最終稿じゃないから。
斜田 なんなら書けなくても上演はできるわけですし。
渡山 いや、書くけどさ。
斜田 そんなに書きたいんですか?
渡山 書きたくはないよ。
斜田 書きたくはないのか。
渡山 いや、書くけどさ。
斜田 すみません。でも初稿があがってない僕とは深刻さが違いますよね? 
渡山 そうでもないよ。生きてるうちにあと何作書けるか。
斜田 深刻だ。え、なにかご病気とか?
渡山 まだだよ。
斜田 まだ、とは。
渡山 小学生の時の夢が、売れない作家になって肺病で早世する、だったので。
斜田 夢が叶うといいですね……?

第三回交換書評につづく

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